あらくれの雨

成瀬巳喜男、といえば、雨。
ということを言っても、おそらく差し支えない。

成瀬の作品においてドラマが展開するとき、雨音が聴こえてくる、軒先や窓の外を見ると雨が降っている、というシーンには枚挙に暇がない。だから、枚挙するのはやめておこう。成瀬を幾つか見ていれば、見たことのない成瀬に出会ったときでも、あ、そろそろ雨が降りそうだ、ということがわかるはず。成瀬によってできた映画的古傷が疼くのだ。

ところが、『あらくれ』のにわか雨の唐突さはどうだろう。

主人公の高峰秀子演じるお島さんは、最初の婚礼の晩に逃げ出し、嫁いだ缶詰屋では甲斐性のない夫・上原謙に愛想をつかす一方で、お島の減らず口と勝ち気な性格も災いして愛想をつかされた挙句に追い出される。そして、家族のもとに出戻りするが、兄・宮口精二の借金のカタに雪深い山奥の宿屋に置き去りにされ、女中として奉公していると、宿屋の主人・森雅之に見初められて妾にされるも出奔、東京で洋裁の仕事をするうちに知り合った加東大介洋服屋を起業し、一度は首が回らなくなりルンペン寸前の宿無しになるが、なんとかV字回復して繁盛させる。しかし、上原謙時代から因縁のあった三浦光子に加東大介を寝取られ、再び出奔・・・という数奇な運命をたどる。

いくつかの見せ場がある中でも、この映画の「華」は高峰秀子の本領発揮ともいうべき格闘シーンだろう。
注文の納期に遅れそうなのに店先で職人と将棋をさしたりといっこうに真剣にしごとをしようとしない加東大介。業を煮やした高峰秀子は、室内にもかかわらずホースを引っ張りだしてきて加東大介に向かって放水(!)する。

また、商売が成功してからのこと、成金趣味の加東大介がお花の先生を雇って高峰秀子に習わせようとするが、ある日外回りで高峰秀子の帰りが遅くなったときに、加東大介はお花の先生と生け花しながらいちゃいちゃでれでれする。それに気づいた高峰秀子が、加東大介に対してマウントポジションをとってボカスカ殴ったり噛み付いたり。
そして、終盤、高峰秀子加東大介の後をつけ、彼に囲われている三浦光子(上原謙時代には、彼と「幼馴染」ということで色目を使っていた因縁のある女)の妾宅に乗り込み、「お辞儀はこうしてするもんだよ!」と喧嘩をふっかけ、素手や素足、箒などを駆使してしばき倒す(成瀬や小津は、小さな仕草だけで映画を駆動させることができるという点で、真の意味でのアクション映画を撮れる映画監督だと思ふが、『あらくれ』はそれどころでなくいわゆるアクション映画と化している!)。

そうやって三浦光子をひととおりしばき倒すと、雨が降り始めるのだ。
恐れをなした三浦光子が「誰か、誰か来て!」と部屋から庭へと逃げ、作品中でもいちばんの修羅場が収束しかけたときに突然訪れる、にわか雨。成瀬においては例外的なバイオレンスの後に、どんなドラマが、どんな叙情が待っているのかと、わずかばかり訝しく思う。

高峰秀子は、妾宅を出て、雨の中を傘も差さずに歩いてゆく。その姿を後ろから前からカメラは引き気味にとらえるが、ふと店先に雨宿りしたときにバストショットになる彼女の表情はどうだろう。どこを見るでもなく視線はうつろで、幾分か困り果てた思案顔だ。この映画の中で、彼女がこんな表情をしたことがあっただろうか。
これまで成瀬的な雨とは無縁かのように見えた『あらくれ』で突然降り始めた雨は、放浪の身分を経た後に商売を成功させ、自分の家を持てたにもかかわらず、それも束の間、成功と家庭を捨てて独り身でスタートするお島に再び降りかかる試練のようにも見える。

雨宿りもほんの数秒のこと、思い立って歩き始め、通りかかった雑貨屋に入ったときには髪も着物も濡れている。
店先に並ぶ傘を求めた後、店の電話を借りて自らの洋服店に電話する。はじめ、使いの小僧が電話に出るが、パターナーも仕立てもやる職人の仲代達也を呼び、店を出て独立しようともちかける。温泉にでも行ってゆっくりしがてら、これからの算段をしようと話すと、腕に自信のある仲代達也ものってくる。
電話を終え、傘のお釣りを渡そうとする店の主人に「いいですよ、電話代ですよ」と断り、傘を差して店を出、歩き始める。やや斜め下から仰ぎ気味に高峰秀子をとらえるカメラは、歩き始めたときは少しだけ伏し目だけだった彼女が、まっすぐ前を向き、あっという間に表情が晴れてゆくのを逃さない。あとは次に向かって進むだけ、傘をさしたお島は、もう雨に濡れることはない。まっすぐ続く道を歩いてゆく後ろ姿には、もはや躊躇いなど残っていない。

放浪流転を繰り返すお島=高峰秀子にとっては、加東大介との訣別も数ある別れのひとつではあるが、ようやく手に入れたものを手放すのは初めてのことだろう。たしかにこの雨は見る者にとって予期せぬものではあるが、訣別の後、新たな一歩を踏み出すドラマチックな瞬間を雨で迎えるのは悪くない。そして、試練の雨が、お島が傘を手にした後、祝福の雨へと変わったかのように見えるところに、成瀬による雨の演出の真骨頂がうかがえる。

・・・ちなみにWikipediaによると、1957年公開の『あらくれ』は18禁の成人映画に指定されていたらしい。
特にヌードがあったりセックスのシーンがあったりするわけではないが、高峰秀子が女中をする宿屋で、風呂からあがって髪をといているところに入浴しに来た主人の森雅之に無理やり抱きすくめられ、屋外から窓越しの引きの画面になったところで、二人の姿が柱の陰に消え、すると屋根に積もった雪がどさっと落ちてくるというギャグのようなお色気描写はあった。また、宿屋の女将を色にもつ志村喬にどさくさで胸を触られて「大きいね、このひとのおっぱい"も"」と言われたり、夫となる加東大介の性欲が強すぎて高峰秀子が「(しごとも夜のおつとめも)両方はつとまんない、からだじゅうがだるい」というような趣旨の発言をしたり、あるいは三浦光子との喧嘩で「締りが悪い」と罵られたりと、台詞にもふんだんに下ネタが盛り込まれている(脚本は水木洋子)。たしかに、オトナ向けの映画と言えなくもない。とはいえ、『乱れ雲』や『鰯雲』など幾つかの作品のように「濡れて」はいないのだが・・・