いちおう、2013年の映画

一、2013年に見ておもしろかった映画。古いのと新しいのないまぜで10こぐらい。

カリフォルニア・ドールズ』(ロバート・アルドリッチ)
アウトロー』(クリストファー・マッカリー)
ムーンライズ・キングダム』(ウェス・アンダーソン)
奪命金』(ジョニー・トー)
ホーリー・モーターズ』(レオス・カラックス)
『親密さ』『うたうひと』『不気味なものの肌に触れる』など(濱口竜介)
『警察官』(内田吐夢)
天国の門』(マイケル・チミノ)
『偽大学生』(増村保造)
眠れる美女』(マルコ・ベロッキオ)
『遭難者』『女っ気なし』(ギョーム・ブラック)
忍びの卍』など(鈴木則文)
ペコロスの母に会いに行く』など(森崎東)
『名探偵ゴッド・アイ』(ジョニー・トー)


二、書きかけて途中でやめてしまったものを捨ててしまうのはもったいないし、思ってたこと考えてたことは、ほったらかしておくと虚空に消えてしまうので、不完全なままではあるけど残しておこう。

・篠崎誠『あれから』。死んだひとは(比較的)安全、生きているひとは危ない。記憶と現在の不意打ち。

舩橋淳桜並木の満開の下に』。成瀬『乱れ雲』との差異にこめられた批評性。

濱口竜介『親密さ』。投げキッスの距離。

・『名探偵ゴッド・アイ』に含まれた笑い飯の成分。ジョニー・トーとワイ・カーファイのどちらかはたぶん笑い飯を見ている。どっちかが笑い飯の漫才をYou Tubeで見て、「殺人現場で犯人役と殺される役をかわりばんこで交代しながらものすごいスピードで推理するっていうのを西田と哲夫みたいにやりたいねん」って相方に言ったと思う。

・『でっかく生きる』。ジーン・ケリー体操のおにいさん

・『牡蠣の女王』。ふざけ症ルビッチのフォックストロット・エピデミック。体も表情もゆるんだひとびとのふまじめきわまりない爆発的な感染性ダンス(ちなみにサイレント)。一音ごとに子どもたちの本気が込められた鈴木卓爾『楽隊のうさぎ』の手に汗握る本番シーンとセットで。

宮崎駿風立ちぬ』。ずっと何かおかしいと思いながら見てた。最後、二郎が菜穂子に別れを告げていま一度生に向かうあの原風景的な場所は、アンゲロプロス永遠と一日』で死の直前のブルーノ・ガンツが死者たちと逢う記憶の中の浜辺と重なる。しかし、後者はとてもすんなり入ってくるのに、『風立ちぬ』のはどうも腑に落ちない。断念の痛切さを感じてもいいはずなのに、そうはならない(そもそも駿はつべこべ言いすぎる。たぶんそれがよくない)。もやもや。
一方、森崎東ペコロスの母に会いに行く』。忘れるのと思い出すのが同時に起こって現在の中にさまざまな時制が入り混じっている認知症の母が、祭りの夜にやはり死者たちと再会し、記念撮影する橋の上。すごくしっくりくる。開かれている(他者に、過去に、自らに)。「いざ生きめやも」とか敢えて言わずに現在を生きてる森崎東。こっちの方がうんとかっこいい。

高畑勲かぐや姫の物語』、翁目線で見ると溝口の『雨月物語』のようでもあるし、姫目線で見ると相米慎二のようでもある。いずれにしても痛ましいのに、痛ましさを中和、というか、なかったことにするかのごとき最後のお迎えシーンのサイケデリックさがぶっとんでいて、狐につままれるか狸に化かされた(ぽんぽこ)ようなきもちになる。こういうのを実写で、更に気をたがえるところまで突き進めると、たぶん内田吐夢(たとえば『恋や恋なすな恋』)みたいになる。