Playback

最近、映画に恋したこと、ありますか?
映画作家に恋したこと、ありますか?
わたし、あります。
姓は三宅、名は唱、得物はPlaybackと申します。。。


中学生が校舎の内外を走り回って追いかけっこする『1999年』と題された僅か3,4分の作品のあとに、『やくたたず』が上映された。
3人の学ランを着た少年たちが次第に歩みを早めてゆく冒頭のシーンから映画も走り出し、雪の北海道を舞台に遊んでいるのか仕事をしているのか、ともかく若者たちがやんちゃっぷりを炸裂させているのを確かな手つきでカメラにおさめた『やくたたず』は、『オルエットの方へ』で南に向かい太陽の光が降り注ぐ海と浜辺でのヴァカンスの愉しさと倦怠を真空パックのようにフィルムに閉じ込めたジャック・ロジエが、もし南、エル・スールではなく、北に向かっていたらこんな風にしていたかもしれないと思わせるほどの瑞々しさを放っていた。
そして、そのエンドロールで、三宅唱の名前の上に監督のみならず、脚本・撮影・編集…と何役もの役割が冠されたのを目にしたとき、もう一度、驚いた。


三宅唱が中学生の頃に学園祭で見せるために撮ったという『1999年』と映画監督としての処女長編作となる『やくたたず』の間には、それらの作り手である映画作家としての風格こそ大きな差というか、成長による隔たりがあるとはいえ、しっかりと通底する何かがあるように思えた。
そして、その何かは、更にその後に上映された愛すべき最新作『Playback』にも見てとれた。


村上淳は偶然手にした『やくたたず』のDVDを見て、その日のうちに監督の三宅唱と連絡をとったという。そうして生まれたのが『Playback』だ。
この作品を見て、ひとつひとつのカット、一瞬一瞬が愛しくて、このまま映画が終わらなければいいのに、と願いながら見ていた。そんな映画体験はめったにあるもんじゃない。
そして、この作品の存在を秘密にして独り占めにしておきたいというきもちと、同時に一人でも多くのひとに見てほしいというきもちの両方に襲われた。そんなきもちにさせる映画も、そうはめったにあるもんじゃない。


冒頭、何でもない住宅街の緩やかな坂道をフィックスでとらえるカメラは、そこをスケートボードに乗った子どもが通りかかったとき、スロープを滑り降りる彼を追いかけるようにパンしてゆく。またしても、追いかけっこ。それにしても、三宅唱が映画を起動するときのアクセル・クラッチの入れ方は優しく魅力的だ。


さて、劇中でも俳優である主演の村上淳は、どうも仕事でも私生活でも行き詰まっているらしい。彼はそのままの年格好で人生の時間を行ったり来たりする、俳優を職業とするきっかけのあった高校時代に、またその頃の旧友らと再会する現在に(まだ水戸、東京、京都でプレミア上映されたばかりの本作の内容については多くを語らない方がよさそうだから、詳細には触れれないでおこう)。
彼は時間を巻き戻し早送りして、人生をプレイバックするのだ。


映画の中で、時間は、繰り返される。但し、細部を微妙に変えながら。
そして、時間が繰り返されるたびに、ひとつひとつの今が愛しさを増してゆく。
昔も今も変わらないアイツもいれば(Don't call me chicken!)、いなくなってしまった人もいる。もう一度だけ、ひと仕事したいと思っているひともいれば、人生の門出を迎えるひともいる。今朝、原付で登校したのかバスに乗ってきたのかすら覚えていないひとも、昔撮ったビデオを繰り返し見るひともいる。あのときあったことは本当に起こったことなのか、それとも記憶の捏造なのか。。。


過去にも現在にも未来にも、今が遍在し、そのどれもが、ありえた今であり、ありえなかった今でもある。だからこそ、一回限りの輝きを放つ今。
やくたたず』でもう二度と来なさそうな時間を真空パックした三宅唱は、『Playback』では時間を何度も繰り返すことで、今の輝きを際立たせている(ティーチインで三宅監督は俳優という存在の奇跡と時間について話していたが、この作品は監督にとっての「映画とは」が戦略的に刻み込まていながら、作り手の戦略や意図のあざとさを感じさせないという意味でも驚くべき作品だ)。


と同時に、今の中には現在だけでなく、過去も未来も同時に詰まっている。わたしたちは、今・ここにいながらにして、いつにだってどこにだって思いを馳せられる。何度も同じ時間を生き直すことができる。そこには死者の居場所すらある。決してファンタジーではなく、たしかにわたしたちはそのように生きている。


菅田俊は「時間がない」と言って焦っていた(そういえば、かつて織田裕二は「お金がない」と言っていた)。そう、壮年を迎えた菅田俊のみならず、われわれには時間がない。それでいて、ある。
その、あり・え・なさ、をつかまえたのが『Playback』だと言ってよいだろう。この映画を見たひとはもう、永劫回帰なんて言う必要はない。Just say Playback!