世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと椎名林檎

この文章は、齋藤環さんの本について書いたものではありません。
椎名林檎さんをdisったものでもありません。
関係者各位におかれましては、あしからずご了承ください。



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その女のひとの姿を初めて見たときの第一印象は、頭がおっきい、だった。
それは、深夜のテレビで流れていた「ここでキスして」のPVだった。



いま見ても、たしかに、頭がおっきい(あくまでPV上では、だけど)。


そのあと、最初のアルバム「無罪モラトリアム」が発売された。
夢中になって聴いた。
たしか、大学4年生だった頃で、車の教習所の行き帰りの自転車でも聴いていたし、卒業して就職するというので高井戸から下北沢の新しい部屋に引越しするその当日も、CDラジカセだけからっぽの部屋に最後まで残して流しっぱなしにしていた。つまり、ずっと聴いていた。
渋谷クラブクアトロで黒いスリップをまとって行われたメジャーデビュー後のライブには行けなかったけど、初めての武道館のライブには行ったし、シングルCDもぜんぶ買っていた。カップリングの曲がとてもよかった。


2枚目のアルバムが出たとき、ヴォーカリストとして開眼したと思った。
でも、ほんのちょっとだけ、あれ?と思った。本当は、あれ?と思ったのだけど、あれ?と思っていないことにしていた。



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それから、月日が流れた。その頃生まれた子どもが小学校を卒業するくらいの月日が流れた。


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ある日、自分より年若いひとたちが、「ジヘン」と言っているのを耳にした。「ジヘン、いいよね」とか言ってた、たしか。それが東京事変のことを言っているのだと気づくまでに、2,3分、英語で言うところの、a few minutes、かかった。たしか、椎名林檎が現在の東京事変をバンドとして従え、ホクロが消えてしまったソロコンサートにも行ったし、その後の東京事変も新譜が出ればいちおう楽しみにして買っていたはずなのに。隔世の感。


また、別のある日、というか超最近、椎名林檎東京事変の曲がたてつづけに流れる環境に身を置いていた。うるさい、と思った。そして、この、うるさい、と思う感じは、2枚目のアルバムを聴いたときの、あれ?と思った感じに似ているということに気づいた。
しばし、瞑想。自分の苦手な何かに似ているような・・・。
で、わかった。
椎名林檎って、ヤンキーなんだ、と。


かつて、あれ?と思ったのは、サウンドにかけられたノイズやディストーションが、なんというか端的に言えば、ダサいからだった。
Brian Enoがプロデュースしていた頃のU2やJamesのエフェクトをかけてぐしゃっと潰れたビートはかっこいいし、Nirvanaディストーション・ギターは特に"In Utero"なんかではかっこいいし、Jesus and Mary Chainのザーっていうだけのノイズも西瓜の甘味を引き立てる塩みたいな感じでいいと思う。
でも、椎名林檎の音は、そういうノイズじゃなくて、改造車にマフラーとかつけてエンジン音をわんわんいわせてるだけのような雑な感じがするのだ。その雑な感じは、2枚目のアルバムから既に現れ、東京事変に至るまで続いている。1枚目が例外なのは、単にわんわん言わせるだけのお金がなかっただけなのかもしれないし、新人だったから自分でこんなサウンドにしたいと我を通すのが難しかっただけなのかもしれない。セールスが好調で、音楽作りにお金をかけられるようになって、最初は軽トラだったところにいろいろ装飾をしてみたらデコトラになりました、みたいな感じ。そこらへんをぜんぶひっくるめて、椎名林檎やジヘンの音楽の印象をひとことで表すと、ヤンキーぽい、と思ったのだ。氣志團みたいなワッショイ系ではなく、オラオラ系のヤンキー。


あと、ジャズやシャンソンも器用に歌うけど、なんか違うんだよね、と思ってたのは、それがヤンキー・ジャズ、ヤンキー・シャンソンだったからだ。
てなことを考えていると、アルバムの曲がシンメトリーになっている等の様式にこだわる美意識も、ヤンキーぽいと思えてきたぞ。きっちり剃り込みを入れたり、眉を刈りそろえたりする感じの。
明治・大正時代頃の日本文学っぽく漢字を多用して難しい小洒落た言い回しの歌詞が多いのも、「夜露死苦」などの漢字を好むヤンキー・リテラシーのヴァリエーションなのかもしれない。
ヤンキー、ヤンキー。



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残念。
紙幅の関係上、ここで筆を折らなければならない。


椎名林檎=ヤンキーと見立てると、どんないいことがあるか。


それについては齋藤環の新刊『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』をご参照されたい。たぶん、何か関係することが書いてあるにちがいない。と申し上げるわたしは、まだこの本を読んでいない。のだが、この手のことを説明してくれるのは齋藤環か宮台真司と相場が決まっているし、『少女ファイト』第9巻を読んで引っかかった台詞がわたしと齋藤環はいっしょだったようだし。





たぶん、わたしが考えることは予め齋藤環が考えてくれているはずだから、あとは齋藤環に任せよう。


チャオ。