恋に至る病

男女がぶつかった拍子に体と心が入れ替わり、おれがあいつであいつがおれになってしまう、という映画は昔あったが、男と女が性器だけを交換するという話は未だ嘗てあっただろうか。
入れ替わる、ということは、それだけでも当惑気味の幸せをもたらすが、人には見せられない恥ずかしいもの=性器を大好きな片想いの相手からもぎ取り、かわりに自分の性器を相手に預けるという「性器交換」の設定のあまりの幸福さには目が眩むほどだ。

木村承子監督による長編デビュー作『恋に至る病』の主人公ツブラ(我妻三輪子)は永遠に腐らない身体を手に入れるために、防腐剤入りのサプリメントしか口にしない。ツブラは生物教師マドカ(斉藤陽一郎)をまさに生物を愛でつつ観察するように見つめ続け、彼が授業中に見せる様々なしぐさをノートにスケッチしている。強迫的なツブラのノートには、彼女自身とマドカが裸で抱き合い、接合した性器が次第にどちらのものともつかなくなり、やがて互いの性器が入れ替わるという絵図が描かれており、彼女はその妄想を半ば強引に実現する。

性器が入れ替わったことに気づいたマドカは混乱し、この秘密が露見しないようにとまるで拉致するかのようにツブラを車に乗せ、使われなくなった無人の実家に向かい、そこで他の誰も知らない二人だけの生活が始まる。
赤いワンピースをまとい、自らの股間についた男性器をつんつんしてはしゃぐ天衣無縫なツブラは「私を受け容れて(あるいは、私の性器=いちばん恥ずかしいものを受け容れて)」とばかりにマドカに迫るが、誰ともいたくないマドカはツブラが近づくたびに嘔気を催し、彼女を拒む。

こじれる二人の関係は、ツブラの親友エン(佐津川愛美)と彼女に思いを寄せるマル(染谷将太)を巻き込み、二人の秘密の生活は、やがてその秘密を知ってしまったその他二人を含めた四人の生活へと変わってゆく。
学校という有象無象の生徒たちがわんさかいる空間とは違い、プライベートな空間であるマドカの実家は、そこに住まう人間がひとり増えるだけで、ひとびとの距離感を変容させてしまう。ちなみに、エンとマルはベランダ伝いで互いの部屋に行き来できるお隣同士(『孤独な惑星』の綾野剛と竹厚綾のように)だが、二人の関係もマドカの実家に来ることで変わってゆく。
ところで、使われていなかった無人の家のカーテンを開けると光が差し込み、そこでごはん(というか、おにぎり!)を作り食べ、それぞれの部屋で眠る・・・という、ヴァカンス感と「おうち」感が絶妙にブレンドされた生活空間とそこに流れる時間も、いい。

さて、恥ずかしさを共有できなかったツブラとマドカは、やがて互いを受け容れあうことができたところで、学校という日常に戻る(嘔気によってツブラに対する拒否感を示していたマドカが彼女を受け容れるに至る過程にはイマイチ腑に落ちないところもあるが、それというのもこの映画自体、ツブラがマドカに対する想いを如何に成就させるか、という目線で主に語られているからかもしれない。エンとマルの関係や、マドカの昆虫標本のエピソードを折り込み、二組の男女(と一組の女性同士)の関係性を描いているように巧妙に見せているものの、映画の大半を占めているのはやはりツブラの世界なのではないだろうか。その他の3人はツブラに巻き込まれ遭難しているようにも見える)。

学校に戻ったところでもうマドカの方を振り返ることのないツブラの後ろ姿の凛々しさに胸が痛むのは、恋愛のあるステージの終わりと短いヴァカンスの終わりとが制服を着た彼女の後ろ姿に重ねられ、幸福な季節の終わりを告げているからだろうか。あるいは、マドカを見つめるツブラから始まった映画が、ツブラを見つめるマドカで終わっているからだろうか。。。